Rats Puc
空気が憂いを孕んでいますね。みなさん、いかがお過ごしでしょうか。
こちらは、胎内の恒常性に任せて適当に揺蕩っております。
全てを破壊する者
この間の水曜日、いつも通り大学に向かっていたら自転車の調子がおかしくなった。走るたびにガタンガタンするし、嫌な感じがする。降りてタイヤを触ってみると後輪がへしょへしょになっていた、パンクだ。大学まで歩いて10分くらいの距離だったから、自転車を押していくことにした。「面談ちょっとだけ遅れます」――と打ち込んでいたところ、突如腕時計が地面に落ちた。見ると、ベルトと時計が分離してしまっていた。このほか、水曜日のうちに鞄のファスナーの持ち手が取れたり、ファスナー自体が閉まらなくなったりした。たぶん、あの日の私にはもっと大きな厄災が降りかかる予定だったのだと思う。きっとみんなが守ってくれたのだ。それか、水曜の朝方の夜に作ったおばけちゃんのいたずらかも。
死について
これまでも書いたことがあったと思うけど、↑のようなことがあって少し死を想ったので、現時点の何かしら記しておこうと思う。基本的なスタンスは今までと変わらない。奨学金とかいう負債を返せさえすれば別にいつ死んだって構わない。積極的に死にたい理由はないけれど、積極的に生を為し続ける理由も、そんなにない。私たちはいつだってきっと消滅と生成を繰り返していて、主体は生きたこともなければ死んだこともない。自分が「これまで生き続けてきた」っていう実感もなければ、「これからも生き続ける」っていう感覚も自分じゃよくわからない。ただいま存在しているんだろうなっていう感覚はあるし、たぶん周囲の人々は続いている世界に生きているわけだから、私が望まれているうちは、まだ生存していても良いかなと思う。少なくとも、私と同様の固有名と属性を持つ次の私にバトンを渡せるように、「いま」で私を潰えさせないように。
認知
人に認知されていると思っていないので、名前を呼ばれたり、話しかけられたりすると酷く驚いてしまう。特に、授業を受けているだけで一対多の関係にしかない先生とかに認知されていると本当に焦る。顔も名前も憶えられていないと思って他ごとをしていることも多いから、「まずいバレてた!」という気持ちになる。他ごとをやっていたことには変わりないんだけど、なんか以前の個体が印象に残ることをしていたのかなあと思う。たぶん、普通に授業を受けて普通にレポートを出したくらいしかしていない。ただ、その「普通」の基準が結構高いのかもしれないな。私って意外と有名人かも。とりあえず、認知されていると思っていなかった数人に顔が割れていることがわかったので、もっと真面目に授業を受けようと思います。先生以外にも、何故か「あおさ先輩ですよね。お噂はかねがね」って話しかけられることがある。どこかのコミュニティで私の評判が出回っている。私は優等生なわけでも、善い人間なわけでもないのでそんなに期待しないでほしい。
夜が溶けてきたので布団に滑り込む。
たぶん寝はしないけれど、町が起き出してくるころだから隠れておかないとね。
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