過去の書き散らし

まとめられていない、よくわからない過去の書き散らし。メモアプリで嵩張ってた。
何言ってるんだこの人って思うのもあるけど、せっかくなのでそのままの文章をコピーしておく。
(写真含め2022/2〜2022/4のもの)

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人に興味をもてない
実際には興味をもてないわけではなくて、むしろ興味だったり関心をもちすぎてしまう方なんだけれど、それ故に他者の感情にのまれてしまいがちだから「もてない」というスタンスをずっととっている。そうしないと周囲のちくちく言葉だったり、攻撃的な行動だったりがきつくてやばい。度を過ぎると本当に適合できなかったり虚無になったりしてかなりつらいけど、こういったスタンスをとっていることはこの「なんかものすごいことになっている社会」をどうにか生きのびるには必要なことだと思う。

ところでピーマンの“わた”って取る方がいいんですかね。一応食べれるらしいんだけど。

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人混みがこわい
昔から人混みがどうも苦手だ。なんとなく空気が悪いような気がするし、人の話し声がごちゃごちゃに混じってよくわからなくなる。それに何といっても人とぶつかるかもしれないことへの不安が強すぎる。普段から都会で暮らしていて慣れている人はすいすいと縫って通れるのかもしれないけど、閑散とした住宅街でも曲がり角に人がいないか確かめつつ歩いている私みたいなのにはかなり難しい。だいたいぶつかってしまうか、そうでなくともうまく通れなくて人波に流されてしまうかのどちらかだ。……本当に同じ人間なのか?ステータスでも振り直してちょっといい感じにできるようになったりしないかな。

予定外のことがこわい
延期や中止、混雑などによる急な予定変更はもちろん、忘れ物とか自分のぽんこつミスでイメージしていた手順を遂行できなくなること、意図しないタイミングで話しかけられることが本当にだめ。自分の中にあるであろう一定の流れが乱された瞬間、軽くパニックになる。
そもそも自分以外の人間が関係してくる物事を成そうとするだけで相当のエネルギーが必要なんだから、それでいっぱいいっぱいでプラスアルファのことに割けるリソースがない。

文章でのやりとりがこわい
これね、怖いですよね。リアルタイムで会話するとかならまだ大丈夫なんだけど、返信に間があいてると不安が強くなってくる。相手がどのような表情で、どのようなことを思って文章を入力しているのか。負担になっていないか。この長時間の未読は…なんか不快にさせしまったのか。そういったことをぐるぐる考えてしまう。
だから、できるだけそういったことを気にしないでいいように、SNS上での会話は最低限に

やきそばこわい
特に甘い味付けのされている、地元名物のやつが怖いです。一緒に五目おやきなんてあった日にゃ飛び退いて失神しちゃう。どうぞよろしく。

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だいたいのこと(マニュアルめいたこと)は理解できるし、人がどう思っているかもだいたい察することができる。必死に理解しようとしなくてもなんとなくできてしまう。ちょっとつまらない。だから哲学のもはや屁理屈めいたものが好き。これはそうなのか?それはあなたの感触でしかないのではないか?表現が違うだけでつまるところは同じこと言ってない?それくらいの比喩は許してあげてよ……より多くの人に伝わりやすいんだし……といったこと

教えられたこと、書いてあることはすぐわかるしできる。でもそこから発展した内容を自分で考えて柔軟に対応することができない。考えられないわけではない。たくさんの可能性を加味した上で、最悪の事態を想定して、それならば動かないのが最適ではないかという結論に至る。対人間のコミュニケーションにおいても同様で、例えば相手が悲しんでいるだろうと想定されるとき、だいたいの人は慰めるという方法をとるだろうが、私のなかでは「慰めるとプライドを傷つけてしまうかもしれない、もしかすると放っておいてほしいかもしれない、自信を無くさせてしまうかもしれない」という思考がよぎり、結局特別なことをせず、いつも通りに接するなどしている。元から人と深く関わるタイプではないから放っておいてほしいかもしれない場合でも普段通りで良い。

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特定の何かに対して夢中になることを熱を上げると言ったりするが、私はよく、ほぼ常に何らかに対して熱を上げていると思う。趣味だったりキャラクターだったり実在する人物だったり……対象は本当にさまざまだし、熱を向ける対象の数も程度もバラバラなんだけどとにかくずーっと。

いくらか先の日に「なんか飽きちゃった。もういいかな」なんてへらへら笑いながら言ってる自分がいるような気もするし、もしかしたらそのときある種の虚しさすら感じるかもしれないけど、とりあえずいま好きなものは好きなときに好きを伝えたい。未来のことなんてどうせ推測の域を脱しないんだから、それなら今現在の自分が確かに感じているものを出力しておきたい。どんな原理かとか難しいことはよくわからないけど、そのときそのときに感じたことに間違いはないと思うから、絵や音楽、運動、キャラクター、身近でいつもお世話になってる人々、安心できる場所になってくれてる人、長年私の基礎や支えとなっている人に全力で好きエネルギーを贈ります。怪しくないから是非受け取ってほしい。

好きなことについて書いたし、ついでに最近気付いた嫌いな人間に対する感情についても書き残しておこうかな。たぶん、私にとって嫌いな人間は”中華料理における唐辛子“みたいなものなんだと思う。集団の中にだいたいいるし、ある程度であればいい刺激になるかもしれないんだけど、直接咀嚼するのはお断り申し上げたい感じ。お皿の端っこに寄せて食べないようにしたい。苦手な人はどうなんだって自分でちょっと思ったけど、苦手っていう程度のものなら私は頑張って食べるようにしてるから、たぶん嫌いがこれで合ってるはず。

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先日、用事があって久しぶりに電車に乗って名古屋の方へ向かった。普段は薬をもらうだけであとは特に何もないんだけど、この時はちょっと血液検査をするタイミングで……まあ、その、嫌だった。毎度採血時に「苦手?」って聞かれるくらいに露骨に出てるらしい。ご明察、すごい苦手ですよ。献血とかに積極的な人たちすごいと思う。お菓子やちょっとしたサービスだけじゃなくて、もっともっと労ってあげたい。

嫌なことをしにいくのに往復約1000円の交通費をかけるのはなんか少し「ぬ」って感じだったし、久しぶりの採血で気分や体調が悪くなっちゃうこともあるかもしれなかったから、いざというとき介助してもらおうかと友人数人を誘ってうろうろすることにした。もちろんそれだけじゃなくって、しばらく会えてなかったから純粋に顔を合わせたかった。まあ、ある程度の信頼度のある人にはうまく素直になれない人間だからそんな雰囲気微塵も出せてないだろうけど。
待ち合わせまでにまだそこそこ時間があった。

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先日、旧友に会った。旧友といっても、学校が同じだったとか家が近かったとかそういう近いようで浅いつながりのある相手ではない、小説の中の人物だ。

はじめて彼に会ったのは中学生の頃だった。当時頻繁に聴いていた方の新曲がその本を題材にしていると知り、タイトルにも魅力を感じて学校の図書館で手を伸ばしてみた。正直なところ、難しい漢字や表現ばかりだし、発言から気持ちや意図を読み取る能力もそこまで高いわけじゃなかったから最初はあんまり理解できなかった。理解できないまま読み進めていって、理解できないまま結末を迎えた。ハッピーエンドなのかバッドエンドなのかもいまいちわからなくて、ただ後味の悪さだけが残っていた。

青叉です。

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