素麺タイム

超ピーマンにみえる抹茶クリーム
流しそうめんの機械がほしい。シーズンから外れると格安コーナーに追いやられてるあれ。たぶん3〜4回で飽きちゃうだろうし買わない方がいいのかもしれないけれど、どうしても欲しい。やりたい。この気持ちはもうしばらく寝かせておいて、今の家を出て新しい住処に移って、落ち着いたときにまだ気持ちがあれば真っ先に買おうと思ってる。

最近、こういうちょっとしたことだけど未来への期待や楽しみを作っていっている。一年か二年くらい前の自分は全くそういったことがなくて、かといって今に全力なわけでもなかったからちょっと変わったんだと思う。
この変化が吉と出るか凶と出るかはわからないけれど、まあ自分がそういう風に転換したんなら今はそのようにしてみようと思う。未来の自分や周囲が幸福であるといいな。
未来、といえば最近読んだ本の中で時間について触れていて、ちょっとだけそれについて考えたりした。そのときの箇条書きが残っているのでコピーして置いておくことにする。

過去はどこにも行かないし、未来はどこからもやって来ない。
今は“いま”ではなく、どこにも存在するがどこにも存在しない。
過去を過去たらしめるのは私たちの記憶や伝承によるものである。
それらが薄れていけば過去は遠くにいったように思われる。
未来もまた私たちの脳の産物である。
後の日付に予定されている出来事があれば、それを予期して未来を創造する。
時間とは、断続した瞬間を直線上に並べたものである。
それ故に連続したものと捉えられるが、実際はそうではない。了解があるのみである。
昨日と今日の私、ひいてはその周囲などがどうして続いているものと言えようか。
目に見えた大きな変化がないだけで、全ては違うかもしれないのに。
自分が眠っていた分の時間は本当に存在するのだろうか。
日頃過ごす外界で他の物事が普段の規則的な刻みで進行しているのか。
それとも眠る直前の世界と起きた直後の世界があって、間は抜け落ちているのか。
過去や未来を作り出さなければ自分の立つ位置が曖昧になって不安に陥る。
また人間社会が成り立つ上でも必要不可欠な概念である。

おしまい
破綻している箇所があるかもしれないけどまあご愛嬌ということで。

今日食べたアレルゲン3種のせいで未だ至るところがかゆい。手首あたりに若干じんましんも出ている。でも、おいしかったから後悔はしない。ちょっとの間控えないとな……未来のためにまだ死ぬわけにはいかないので。

青叉です。

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